山田 大敬のブログ

ひーろーのブログ

サッカー、語学学習、いろんな挑戦について、不定期に更新します。

選手がどんどん辞めていく?延世大学サッカー部について詳しく紹介!

 

こんばんは。

 

先日のブログで記した通り、僕は今、韓国の延世大学に、慶應ソッカー部から派遣で2週間の短期サッカー留学にきています。

今日は韓国に来てから4日目で、様々な文化の違いや言語の壁を感じながらも、毎日活動に励んでいます

 

今回のブログではそんな僕が留学している延世大学(Yonsei)サッカー部について紹介しようとと思います。

 

 

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 目次

 

 

延世大学サッカー部基本情報

延世大学サッカー部は韓国屈指の強豪校で、毎年多くのプロサッカー選手を輩出します。

OBには、現在ガンバ大阪のファン・ウィジョ選手FC東京チャン・ヒョンス選手など多くの選手たちがプロの舞台で結果を残しています。

 

現在延世大学サッカー部員は1年生から4年生まで合わせて計23名です。(韓国では3月から学期が始まるため1年生がすでに入っている。)

 

内訳は1年生9名、2年生8名、3年生4名、4年生2名となっています。

先日のブログでも書きましたが、ある1人を除き全員がサッカー推薦延世大学に入学しています。

 

donkohero.hatenablog.com

 

では唯一サッカー推薦で入学していない1人の選手について紹介したいと思います。

 

 

・日本語堪能ドンちゃん

彼の名前はキム・ドンヒョク。(僕らはドンちゃんって呼んでます。)

今回の延世留学での僕たちのお世話係をしてくれています。

彼は韓国語を話せるのはもちろんのこと、日本語がペラペラ。と言うのも彼は韓国で生まれた後、日本で14年間過ごし、大学からまた韓国に戻って来たのです。

 

通常、延世大学サッカー部にはスポーツ推薦でしか入部できません。

しかし彼は一般入試で延世大学に合格し、サッカー部に入るため元慶應大学ソッカー部監督で延世大学OBの人に推薦書を書いてもらい、セレクションを経て見事入団したのです。(延世サッカー部史上初めて)

 

そんなドンちゃんには通訳をしてもらったり、寮や学校の案内、一緒に筋トレや街へ連れて行ってもらったりして、本当にお世話になっています。早くドンちゃん以外の選手と仲良くならないといけないなとは思っていますが。笑

今回の記事もドンちゃんに色々教えてもらって書いています。

 

 

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左がドンちゃん

・選手が辞めていく?

次はタイトルに書いてあることについて説明していきます。

 

先ほど書いた内訳を見てもらったら分かりますが、1年生が1番人数が多く、4年生が1番少なくなっています。

なぜこのような編成になるかと言うと、

 

選手たちが在学中にKリーグに引き抜かれていき、次から次へと学校を辞めてプロサッカー選手になっていくからです。

 

一昨年は9人、去年は5人の選手がプロになっていき延世大学を辞めていきました。

 

彼らの中では大学を卒業することではなく、プロサッカー選手になって大学を辞めていくことが一つの目標になっていると言います。(卒業後にプロの道に進む選手も少ないながらもいます。)

 

つまり常に、身近に「プロ」と言う存在があり、「プロ」になることを全員が目指してプレーしている環境なのです。

実際にリーグ戦には多くのKリーグ関係者が見にくるらしいです。

 

これは延世だけでなく、韓国サッカー全体に共通していることです。

日本では在学中に特別指定としてプロの試合に出る選手はいくらかいますが、2年生や3年生のタイミングで完全に大学を辞めてプロの道に行く選手はほとんどいません。この辺りが韓国大学サッカーと日本の大学サッカーの大きな違いだと感じました。

 

・最大のライバル、高麗大学

次は延世大学サッカー部ならではの変わった特色について紹介します。

 

サッカー部では選手は練習中、赤色の服や靴を着用しません。

なぜなら最大のライバル校である高麗大学のイメージカラーが赤色だからです。(延世は青色がイメージカラー)

つまりそれほどにまで、強烈なライバル意識があるのです。

 

日本では早稲田大学慶應義塾大学がお互いに意識しあっていると思いますが、それの何倍もの強さでライバル意識を持っているのです。

慶應での練習の時、早稲田のカラーであるえんじ色をつけてはダメみたいな風習は一切ないので。笑 

 

日本でいう早慶戦のような定期戦も、延世大学高麗大学の間にあります。

しかし規模は早慶戦を大きく上回ります。

 

昨年の早慶サッカー定期戦には約1万8000人の観客が集まりました。日本の大学サッカーにおいてサッカー早慶戦は最多の人数を集客します。

しかし延世と高麗のサッカー定期戦には、平均でも2万人、多い時で3万人を超える観客が集まります。

 

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多くの観客を集客する

 

しかもこの定期戦は5つの競技(サッカー・野球・アイスホッケー・ラグビー・バスケ)を二日間に分けて集中して行うため、他の競技にも多くの観客が集まるのです。

 

 

この定期戦は延世サッカー部員にとって最大の試合で、試合に勝つと、学校ではヒーローとして扱われ、食堂で並んでいるときに知らない人から奢られるということも起こるそうです。

このエピソードからも学校としての高麗大学へのライバル意識が強いことが分かります。

 

 

一昨年、去年と延世サッカー部は高麗大学に勝っており、今年は3連勝を狙う年になっています。

 

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延世スタメン11人のうち10人がプロに

・最後に

今回は延世大学サッカー部についてや韓国大学サッカーならではの特徴について書きました。

 

2年生や3年生になるタイミングでプロになり大学を辞めて行くことや、高麗大学に対する強烈なライバル意識など、日本の大学サッカーとは大きく異なる特徴があることが分かりました。

 

次回は彼ら延世大学サッカー部員の生活について書こうと思っているので、ぜひ読んでください。

韓国の名門”延世大学”に短期サッカー留学

延世大学サッカー留学

3月18日から3月31日の間、韓国の名門校、延世(Yonsei)大学にサッカー留学してきます。

 

慶應義塾大学延世大学は古くから繋がりがあり、ここ10数年間は毎年、慶應義塾大学体育会ソッカー部(正式名称)から延世大学のサッカー部に3名派遣され、そこで約2週間、現地の選手に混じって活動を行います。

有難いことに、今年はその3選手に自分が選ばれ、今日から韓国に行くことになりました。

 

 

 

 

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この3人で行きます

 

 

 

 

 

延世大学は韓国ソウル市にある大学で、韓国では、「ソウル大学」「高麗大学」と並んで名門とされます。(SKYと呼ばれる)

そのサッカー部は韓国屈指の強豪校で、悪くてもトップ5に入る実力を持っているとのことです。

 

そして毎年多くの選手がKリーグ(日本で言うところのJリーグ)に引き抜かれてプロサッカー選手になっていくらしいです。

今回の留学を自分はとてもポジティブに捉えていて、2週間後に「ただ良い経験が出来た」で終わらせたく無いと思っています。

その中で自分は特に次の2点を意識して活動をするつもりです。


 

 

1つ目は、アジアの強豪国であり日本のライバルである韓国の、プロサッカー選手を本気で目指している同世代の選手達が、常日頃から何を意識し、自らの目標を達成するためにどのような日常を送っているかを、ともに生活する中で感じることです。

 

事前の情報によると、延世大学サッカー部の選手は1名の選手(また後日紹介します)を除き、全員がサッカー推薦で入学しているそうです。そして全員がプロサッカー選手を本気で目指し生活しているという環境です。

慶應は一部の選手のみがプロサッカー選手を目指している状況なので、そういった面から見ても異なる環境でのサッカー生活になると思います。

そのような中での生活およびサッカーを通して、プロを目指している自分の、サッカーに対する考え方や向き合い方を、改めて見直していきたいです。

 

 

2つ目は、言葉が通じない中でのプレーを経験し、その困難な状況の中で、課題をどう解決していくかということです。

 

これまで自分は中国、アメリカに遠征に行ったことはあるわけですが、それはチームとして行ったため、共にプレーしたのは、当然日本語が通じ、お互いの特徴を理解しているメンバーでした。

しかし、今回は現地のサッカー部に入ってプレーするため、日本語は通じないのはもちろんのこと、お互いの特徴も分からないわけです。

その中でいかに英語やボディーランゲージなどを含めながらコミュニケーションをとり、プレーを合わせていけるかが今回の自分のテーマになってきます。また、自分は将来ヨーロッパでプロサッカー選手になりたいと思っているので、その点を含めても今後の自分にとって一つの指標になると思います。

 

 

 

 

今回はこんな感じで硬い文章になったんですが、この韓国滞在の間に、韓国の文化や食生活、学生生活などもどんどん発信できたらと思います。

ヒッチハイクで帰省してみた④[横浜〜大阪]完結編





富士川SA〜刈谷SA]




7月28日0:30(開始から6時間30分経過)



鈴木さんの車で富士川SAに着いたのが24時前。そこから夜飯を食べていると、日をまたぎ0時半。





ここで一夜を明かす選択肢もあったが、、、





「いや、先を目指そう!」





と、2人で決めた。




ということで、腹を満たした俺らは、ヒッチハイク再開。





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↑次の目的地は静岡県の逆側にある浜名湖SA



今回のヒッチハイクで初めての、サービスエリア内でのヒッチハイク

すぐに乗れるのじゃないかとの期待もあったが、夜遅いこともあり、あまり車がない。


暗くて、雨が降っている中、15分くらい続けたがあまり停まってくれる様子がない。


通過する車に確実に存在は気づいてもらえてるのだが。




すると登木が、休憩も兼ねて売店に何か買いに行くということで、その場を離れた。



俺1人で心細く続けていたその時、、、





1台の車が俺の前に停まってくれた!


停まってくださったのは、またしても俺らの母親世代の女性。



女性「浜名湖SA?いいよ〜、乗り〜」




俺「ありがとうございます!」

俺 「もう1人いるんですけど、大丈夫ですか?すぐに呼びますが」



女「いいよ〜、荷物で狭いけど、許してね〜」



すぐに登木に電話した。










乗せてくださった方は関根さんという女性。


なんと、翌日鈴鹿サーキットで開催される、耐久レースを見に行かれる途中とのこと。

そのため、当初、浜名湖までの予定だったが、愛知県の刈谷SAまで送ってくださるとのこと。本当にありがたい。



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↑かなりの距離である。本当に感謝。




車の中では面白いお話をたくさん聞けた。


関根さんはB'zのファンであり、全国のライブに行ってるいるらしい。そのため車内ではずっとB'zの曲が流れていた。



また、先程も書いたが、20代の頃からバイクレース🏍がとてもお好きだそうで、全国に見に行かれてるらしい。
20代からバイクレース好きはなかなか珍しい。笑



次の日に行われる耐久レース🏍はなんと8時間も行われるとのこと。その間、お酒を飲みながらずっと見られるらしい。凄い。笑




また、従兄弟が現役のJリーガーという衝撃のエピソードも話してくださった。笑

サッカー好きの俺らは本当にびっくりした!





そんなこんなで楽しいお話をしながら、2時間ちょっとが過ぎ、夜中の2時45分。





ついに刈谷サービスエリアに到着。


関根さんに感謝の思いを伝えて、お別れした。


夜中にとても長い距離を安全に運転していただき本当に感謝。


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↑関根さんと


7月28日2:45(開始から8時間45分経過)



刈谷SAは観覧車などもあり、比較的大きなSAだったが、夜中のためほとんどの建物がしまっていた。



そんななかファミリーマートが空いていて本当に助かった。

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↑当時のインスタストーリー




流石にここで一夜を明かすことにしたが、ここで問題。



まじか、休憩所みたいなとこないんや!


フードコートみたいなところも閉まっていて、本当に寝るところがない。




仕方なく、トイレでコンタクトレンズを外して、歯磨きし、近くにあったベンチで寝ることに。



人生で初めての野宿。笑


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↑こんな感じのとこで寝た。










7月28日7:00(開始から13時間経過)


起床。

全然寝れない。

ベンチ硬い。

背中痛い。




登木も同じようで、起きていた。


朝食をフードコートで食べて、8時からヒッチハイクを再開することに。


もう刈谷まで来たのだから、一気に関西まで行きたいと思っていたため、大阪方面と画用紙に書いた。




雨が降っていたため、俺と登木片方が画用紙を掲げ、もう片方は休憩所で休憩することに。




実はこれまで乗せてくださった4台の車は、全て俺が掲げていた時に停まってくださったていた。

そこで、次こそは登木が停めようということで、まずは俺が休憩することに。




しばらくゲームなどをして時間を潰していたところ登木から、




「心折れそう」
「変わって」



とLINEが。笑



仕方なく、変わろうと登木の元に向かったその時。




なんとそのタイミングで一台の車が停まってくださった。


すぐに駆け寄る登木。

そして、🙆‍♂️と俺に表示。



ついに登木が車を停めた。🚗





停まってくださった方は、かみやさんというお年寄りのご夫婦。

お孫さんに会うために、刈谷から大阪に向かう途中とのこと。



なんと大阪駅が目的地とのことで、大阪駅で降ろしてくださるらしい。


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ついに、ゴールが見えた🤩



車の中では、お孫さんの話を聞いたり、これまでの人生についてのお話を聞いた。

やはり歳を重ねた方の言葉は重い。



そんな中、疲れと睡眠不足から眠くなってきた。

これまで乗せてくださった車の中では寝ることはなかったが、


「疲れてるやろうから、寝ていいよ〜」



との優しい言葉に甘えて、寝させていただくことに。






爆睡してた、俺たちが目を覚ますと、、、









見慣れた光景が




そう。もう、大阪駅の近くであった。
久しぶりに関西に帰ってきて本当に嬉しかった。





そして、大阪駅の近くのパーキングで降ろしてもらい感謝の気持ちを伝え、写真撮影して、お別れすることに。





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↑かみやさんご夫婦。本当に優しかった。












そして、、、










2018年7月28日11:10(開始から17時間10分)







ヒッチハイクで帰省達成⭐️ 


大阪駅をバックに記念撮影した。



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本当に達成感があった。








最後に


軽い気持ちで始めたヒッチハイク。本当に心細くて、大変で、しんどかったが、それをも上回る良い経験ができた。
様々な年齢、バックグラウンドの方とお話しできたことで、自分にとってプラスになったし、大きな学びがあった。やって、本当に良かったと思う。
しかし、乗せてくださった方々なしでは、この達成はなかった。本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。
また多くの人からメッセージをもらったりして、本当に元気が出た。その人たちにも感謝の気持ちを伝えたい。

これからも、様々な挑戦をしていき、良い経験をしたい。これを見た人たちもどんどんいろんな挑戦をしてほしいと思う。








ヒッチハイクで帰省してみた[横浜〜大阪]③








まさに地獄とはこのことだった、、、







東名川崎ICの近くのガソリンスタンドでヒッチハイクを始めたのが、20時。




まあ30分以内に次の車には乗りたいな〜なんて2人で話し合いながら、待っていたが、、、




まじで止まってくれない😰



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↑だんだん疲れてきた笑





30分経過。



止まってくれない。



1時間経過。



止まってくれない。



1時間半経過。



止まってくれない。




そして、、、

2時間経過。


時刻は10時を回っていた。



俺たちの頭には



「え、もうこのまま日付越えるんちゃう?」


「意気揚々とヒッチハイクで帰省するってストーリーあげてしまったけど、まさか帰れへん感じ?」




みたいな、疑問が浮かんでいた。








そんな時、、、







彼らは黒塗りの高級車を道の途中にも関わらず止めてくださった。




そして一言

「ノッテイイヨ〜」

そう。
外国の方が止まってくださったのだ。


正直怖かった。笑
けど乗らない選択肢は無かった。笑



行き先を聞くと、高速には乗るものの、俺たちが行きたい方向とは逆の東京方面とのこと。



しかし、とにかくこの場を移動したかった俺たちは、高速にとりあえず乗り、どこかのSAで降ろしてもらうことに。





そうして乗せてもらった方々は、


の方々で、大使館で働いてらっしゃるとのこと。

どうりで日本語がめちゃくちゃ上手いわけだ。笑



車の中での会話は、主にサッカー、特にW杯のことだった。





どこで降ろしてもらうかの話をしている時に、用賀パーキングエリアの看板が。


そこで降ろしてもらうことにした。



本当にもう帰れないのではないかと思っていた時に、乗せてくださった彼らには感謝しかない。






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↑わずかな距離だが、本当にありがたかった。







[用賀IC〜富士川SA]




7月27日22:20(開始から4時間経過)



用賀PAで降りた俺たちは、とりあえず高速を降りることに。
というのも用賀PAは片側にしかなく、このままでは海老名、御殿場方面に行く車に止まってもらうことは出来ないからだ。


そこで10分ほど歩き、海老名方面に向かう車も通る、用賀ICに移動し、そこでヒッチハイクを始めることに。






用賀ICは、
 ヒッチハイクの聖地 と言われるほどの場所。


かなりの確率で、ヒッチハイカーがいて、ヒッチハイカーの定番のスポットとなっているらしい。



用賀ICの前には、マクドがあり、そこで次の車を待つことに。




俺たちがヒッチハイクを始めた頃は22時を過ぎていたこともあって、俺たち以外にヒッチハイカーはいなかった。



そりゃそうか。笑
こんな時間にヒッチハイクはしないか。笑



待つこと30分くらい。
1台の車が僕たちを追い越して、50メートルくらい超えたとこに止まった。



しかし、僕たちのために止まってくださったのかが、またしても分からない。






恐る恐る近く付くと、1人の男性が乗っていいと、手招きをしてくださった。





名前は鈴木さん。


僕たちの親世代の男性。



普段は、千葉で仕事をされていて、週末ということで、静岡県にいる家族の元に戻るとのこと。


関西までヒッチハイクで帰省していることを伝えると、海老名SAより遥か先の静岡県のどこかのSAで降ろしてくださるとのこと。


これは、本当にありがたかった。
一気に長い距離を移動できることに、正直めっちゃホッとしたことを今でも覚えている。



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↑距離的にはこんな感じ。





やっとヒッチハイクをしているなっていう実感が湧いてきた。




車の中では、鈴木さんの家族のお話、自分たちの、最近の出来事、アーティストの話など、いろんな話をした。


年齢的には自分たちの父親くらいの鈴木さんが、意外に最近のアーティストにも詳しく驚かされたのを覚えている。


またその日、
鈴木さんは同僚の方に



「今日あたりヒッチハイカー乗せるんちゃう?」




と言われていて、ちょうど俺たちがヒッチハイクをしていて、乗せていただけたという、奇跡みたいなこと話もあった。笑





降ろしてもらう場所は富士川SAとなり、12時前に到着した。




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↑インスタのストーリー笑



鈴木さんに感謝を伝え、ここでお別れした。




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↑鈴木さんのお車。






とりあえず夜飯を食べていなかった俺たちはひとまず、夜飯を食べることに。




俺はカツ煮定食を食べた。笑


(登木は普通のとんかつ定食だったような?笑)




時刻は夜中の0時20分ころ。





普通ならば、ここで夜を過ごすのだが、、、






普通じゃない俺たちは、まだ先を目指すことに、、、笑




この決断が後から見ると正しかったのかもしれない。













④に続く、、、















ヒッチハイクで帰省してみた[横浜〜大阪]②

東横線日吉駅〜東名川崎IC]




コツを掴みつつも、全く車が止まってくれる気配もなく、、、




あっという間に30分が過ぎ、




もしかしたら、相当な時間かかるんじゃないかと思っていた、










その時!!!





一台の車が俺たちの画用紙を見て止まってくださった🚘




顔を見合わせる俺と登木





ヒッチハイクあるあるかもしれないが、車が止まっても、自分たちのために止まってくれたかどうかが分からない。






おそるおそる、車に近づいていくと、、、










「いいよ、乗りなよ」







「ありがとうございます!!」












止まってくださった方は、このあたりに住む、宇都宮さんという、小さなお子さんを連れた男性だった。





目的地を伝えると、家とは違う方向にも関わらず、東名川崎のICまで送ってくださるという。本当に感謝しかない。






車の中では、自分たちの話をしたり、お子さんの見ていたドラえもんを一緒に見たり(笑)しながら、時間を過ごした。







そして40分くらいして、東名川崎のICに到着。



 
意外に、日吉駅から時間がかかることにびっくりした。




近くのコンビニの駐車場に降ろしてもらい、お別れすることになった。





宇都宮さんから、



ICの近くでヒッチハイクをしても、そこではすでに高速に向かう車のスピードが上がっており、車は止まってくれない





と、有り難いアドバイスをいただき、感心する俺と登木。






記念写真を撮っていただき、感謝を伝え、お別れした。




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↑宇都宮さんとそのお子さん
ありがとうございました。

 


ただいまの時間は19時40分。
まだまだ先は長い。。。
と思いつつ、一旦休憩。





とりあえず近くのマクドで次の行き先を2人で決めることにし、とにかく高速に乗ろうと決めた。



そこで、画用紙に海老名SA御殿場SAと書き、2人とも画用紙を掲げる作戦に。




30分以内には見つけたいな、と言いながらヒッチハイクを再開することに。












しかし、そこからは地獄の始まりだった。



















[東名川崎IC〜用賀IC]




7月27日20:00(開始から1時間半経過)




東名川崎ICでヒッチハイクを始めた俺らは、宇都宮さんのアドバイス通り、少し手前のガソリンスタンドで画用紙を掲げた。






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↑まだ笑顔





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↑歩道橋の上からの写真







しばらく掲げていると、ガソリンスタンドの店員はもちろん、通行人にもジロジロと見られる。





そんな中、ある大学生に声をかけられる。







大学生「ヒッチハイクしているんですか?俺も友達とやろうと思ってるんですけど、そいつがびびってやりたがらないんですよ。」





俺「そうなんですか。絶対にいい経験やと思いますけどね。」





大学生「そいつにちょっと写真送るんで写真撮ってもいいですか?」





俺「全然いいですよ。むしろ動画で僕が話しましょうか?笑」





大学生「お願いします。」







との具合で、動画を撮ることに。






熱いメッセージ?を伝えた。笑
なんて言ったかは忘れたが、、、笑








そんなこんなで、やっぱ自分たちってすげえことしてんのかな?と気分を良くしながら、続けるヒッチハイク











この後待ち受ける地獄を知らずに、、、









③に続く



ヒッチハイクで帰省してみた[横浜〜大阪]①

もう1ヶ月以上経過しているが、、、笑
実は、、、




ヒッチハイクで横浜〜大阪間を移動し、帰省した💫




今回は、かなり時間が経っているが、その記録を投稿していこうと思う。




①きっかけ


まず、テスト期間が終わり、夏休みが始まってサッカー部の活動も無かったため、地元に帰省することを決めた。



そこでどの方法で神戸(地元)まで帰るか?



新幹線?夜行バス?JRの夜行快速?




できればお金をかけたくない💸


なら、なにで帰るか?そんなことを考えている時、同じサッカー部で神戸に帰る友達を見つけた。


そこで俺は、、、



俺「なあ、登木(チームメイトの名前)。お前神戸まで帰るんやろ?ヒッチハイクで帰らん?」


俺(どーせ断るやろなぁ、、、笑)



登木「え?普通にありじゃね?」




俺「え?マジで言ってる?普通にいい経験になるし、大学っぽいことしたかったし、マジでやらん?」



登木「いいで、決定な」



ということで、2人でヒッチハイクで帰ることを決めたのである。

ちなみに、帰省の1週間前である。笑








来たる7月27日、期末試験を終えた俺と登木は、夕方に大学から下宿先に戻った。




本当に何の打ち合わせをしていなかったため、帰省の用意を持って、とりあえず登木の家で合流。




そこからヒッチハイク帰省をスタートさせた。




東横線日吉駅〜東名川崎IC]




7月27日18:00
 

まず登木家から、ヒッチハイクの持ち物を揃えるべく、最寄り駅の東横線日吉駅まで歩いて移動。




日吉駅にあるダイソーで、黒の油性ペンとA3の紙を購入。



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↑計216円の購入



そのまま日吉駅マクドナルドで作戦会議。
ここで早くも最初の行動について意見が分かれる。




登木は海老名SAまで電車で行き、そこからヒッチハイクを始める方が、もう夜だし、確実だと言い張る。




俺は、電車やバスには頼らず、日吉駅の近くから、ヒッチハイクで始めることを主張。




最終的に登木が折れ、日吉駅からヒッチハイクを始めることに決定。




そこで最初の目的地を、話し合い、高速に乗りたいため一番近い(と言っても10キロ弱あったが)
東名川崎ICを目指すことにした。



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7月27日18:30


日吉駅マクドナルドを出発し、歩いて元住吉駅日吉駅の間にある大きな交差点まで行き、ヒッチハイクをスタートさせた。




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↑スタート前の綺麗な夕焼け🌆

 



まず俺が、東名川崎と行き先を書いた画用紙を掲げる。





恥ずかしい、、、





大きな交差点であったため、通行人に変な目で見られるし、若者には茶化される、、、


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↑恥ずかしがりながら、掲げる




すぐに登木に交代してもらった、、、笑




登木も恥ずかしいようで、すぐにまた俺に交代する。


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↑登木も恥ずかしいようだ。笑





そんなことを繰り返している間、時間は過ぎていく、、、




そんな中あるコツを掴む。
それは、、、








車の動きに合わせて、笑顔で最後まで画用紙を見せ続ける






ことだ。
そうすることで、運転手が見てくれる確率が上がったようだ。





が、





全く止まってくれない。笑
場所が悪いのか?
あっという間に30分が過ぎた、、、




すでに自信を失いかけている俺と登木。
少し登木の言う通り、海老名SAまで行けばよかったと思う俺。






途方も無い旅の始まりを予感させていた、、、







②に続く






サッカーで大事なことは?


点が取れない


これはサッカーをやってる選手、特に前線の選手がよく悩むことだと思う。

現に今、自分自身も悩んでいる。大学の練習に参加してから、練習試合で点を取れていない。

俺はこれまで14年間サッカーを続けてきたが、まだ、「どうしたら点が取れるのか?」に対する答えを見つけられていない。

そもそも答えなどあるのか?

非常に難しい問題だと思う。ただ一つ分かってきたことは

ゴールに対する意欲が強すぎても弱くてもダメ

ということだ。(あくまでも個人の見解だが)


どういうことかというと、自分の場合、「ゴールをどうしても決めたい!」と意気込みすぎると体に力が入りすぎ、視野が狭くなったり、タッチが悪くなったりする。

その場合フィジカルを活かしたポストプレーなどはうまくいくが、肝心のゴールを決めることができないのだ。



逆に、余裕を持ち、接触を避けて、リラックスした状態でプレーしようとすると、確かに足元でのプレーはうまくいったり、中盤での「繋ぎ」の役割は担えることが多い。だが、そのプレーに満足してしまう。

だから、「点を決めたい!!!」という意気込みが薄くなり、パスを出した後にゴール前に勢いを持って走り込んだり、ゴール前の動きが少なくなってしまう。


分かってるんだったら、その通りやれよ!



確かにそう言われればそこまでだが、そこがサッカーの難しいところだ。サッカーはその瞬間その瞬間で状況が変わるし、心の持ち方にも変化が出る。
だから、簡単に点を決められないし、上手くいかないことが多いのだ。



長々と書いてきたが、そんな難しいサッカーの中でも、最後に自分が大切にしたいと思っているのは、



サッカーを楽しむ



ということだ。結局これに尽きる。


なんのためにサッカーをやってるのか?もしかしてやらされてるのか?
つい最近こんな記事を見た↓




自分も高校時代、練習が休みと聞いて、心のどこかで少し喜んでいた自分がいた。その時は心からサッカーを楽しめていなかった。もちろんサッカーもうまくいっておらず、スタメンも取れていなかった。

逆に中学時代は、グラウンドが土だったこともあり、雨になるとサッカーは中止になっていたが、その時は練習に行きたくてたまらなかった。それと関係があるかは分からないが、中学時代はスタメンで、公式戦でもかなり点が取れていた。


俺はこう思う。
サッカーは楽しまないと絶対にうまくいかない。


もしこのブログを見たサッカー選手は絶対に意識してほしい。

サッカーを楽しもう!

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